曹洞宗 大宝山 恵運寺

名取三十郎保存基金

お墓の発見

 平成24年(2012)4月、アントニー。クミンズ氏(英国)、南快枝氏の研究の結果、指摘を受けた当寺副住職山本寿法(現住職)が供養塔の内部にて墓石と位牌を発見しました。

 風雨にさらされていなかったため、和泉砂岩で作られた当時の墓石としてはとても状態が良く文字の判読も十分に可能な物でした。一方、位牌は状態が悪く、かろうじて文字の判読ができたものの、供養塔内部の湿気によって腐食が進んでおり、木製でありながらスポンジ状になっておりました。

 翌25年(2013)には、名取三十郎の功績を一人でも多くの人に知って頂くため、そして和歌山市の地域活性化のためにも墓石を一般公開する形で、屋外へ安置し現在に到っております。

保存活動

 これまで偶然にも供養塔内部で保管されていたため、風化していなかった墓石も、昨今の厳しい自然環境の下、屋外での安置により急速に風化が進んでおります。その為、この貴重な墓石を皆さんに参拝してもらえる形で保存するため、墓石に風雨除けの屋根を設置するに到りました。永年に渡り保管するため、それ相応の造りの屋根を設置する必要もあり、またそれを立てた後の保存管理についても経費を必要と致します。

 貴重な地域財産である墓石と位牌について、まずは自治体に相談し何か手立ては無いかと掛け合いましたが、現状の自治体協力には有効な手段が無く、独自での保存を余儀なくされております。

 当寺と名取家縁者、檀信徒からの寄付を芯にして、更には世界各地に存在する名取流の門弟からの寄付も募り保存に努めておりますが、あと一歩及ばないところでございます。
 もし、この保存活動に御協力頂けますなら、下のリンクよりご寄付をお願いする所存です。

 

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名取三十郎正澄

 宝永5年3月15日没(生年不詳~1708)

 戒名 窮源院滴岩了水居士

 号は一水 流派の伝書においては名を正武とも伝わる。 紀州藩軍学「名取流」中興の祖。

 元は甲州武士、後に紀州藩士となった名取正豊の四男として紀伊(現和歌山市)に生まれ、承応3年(1654)紀州藩に仕えました。

 戦国然とした軍学を教える三十郎は、皆から「一水先生」と敬意を持って呼ばれ、紀州藩初代藩主徳川頼宣(とくがわよりのぶ)公からの信望も厚く、「正忍記」や「兵家常談」等を含む多くの軍学書を著すとともに藩士の育成に努めました。

 厳格そうな三十郎ですが、家庭の中においては夫婦仲も良く家庭円満で、その後の名取家が子孫繁栄したことは、恵運寺に残されている祭祀(さいし)史料からうかがい知ることができます。

 名取流の教えである【正忍記】は、日本三大忍術伝書として名高く、現在我々がテレビ、映画、劇中において目にすることにできる架空の忍者像を構築する上で、リアリティを求める為、参考にされる書物の代表格となっています。そこには、真の忍者の技が描かれているからにほかなりません。

 また、侍の規範を説いた【兵家常談】では、侍の日常あるべき姿を説いており、当寺の武士の生活を伺いすることのできる歴史資料であるばかりか、道徳的な教えも説かれており、現代日本人が参考すべき書物でもあります。

曹洞宗 大宝山 恵運寺
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